健常者である僕らは、話すことも書くこともできます。
自分で自分を制限しない限り、その自由は誰にも奪われません。
でも、その自由が利かない人たちもいます。
自閉症の僕が跳びはねる理由
ある番組で東田さんのことを知りました。
この本を手にした時の僕は、仕事、収入、人間関係などで悩み、ちょっと人生の迷い道にいました。
がむしゃらに生きながらも、疲れて果て1年ほど引きこもりに。
番組を見てて「ん?」という違和感があったんです。
こんなまともな思考を?失礼を承知で言いますが、そう思いました。
まったく持って健常者と同じように世の中を見て、感じて生きています。
ちょっとイメージしてみてください。
あなたが、意識も認知障害もなく健常者のまま、体が自分の言うことを利かない。
話すことも、書くこともできず。
表現の手段の一切を奪われたら?
例えば、自分が何かの濡れ衣を着せられたとき。
間違いだと言いたいけど、主張を通せなかったり。
それでも、表現の手段の一切を奪われたらどうでしょう。
僕の思い込み
僕自身、生き苦しくなって。
その原因は、自分を抑え込んでいるからではないか?
そう思っていたときでした。
東田さんの気持ち知ることで何か答えが見つかるのでは?
この本を手にしたきっかけは、そう思ったことがきっかけでした。
「僕たちは、自分の体さえ自分の思い通りにならなくて、じっとしていることも、言われた通りに動くこともできず、まるで不良品のロボットを運転しているようなものです。
いつもみんなにしかられ、その上弁解もできないなんて、僕は世の中の全ての人に見捨てられたような気持ちでした。
僕たちを見かけだけで判断しないで下さい。
どうして話せないのかは分かりませんが、僕たちは話さないのではなく、話せなくて困っているのです。
自分の力だけではどうしようもないのです。
自分が何のために生まれたのか、話せない僕はずっと考えていました。
僕は筆談という方法から始めて、現在は、文字盤やパソコンによるコミュニケーション方法を使って、自分の思いを人に伝えられるようになりました。
自分の気持ちを相手に伝えられるということは、自分が人としてこの世界に存在していると自覚できることなのです。
話せないということはどういうことなのかということを、自分に置き換えて考えて欲しいのです。」
出典:自閉症の僕が跳びはねる理由 会話のできない中学生がつづる内なる心 東田直樹
今読んでも涙が出そうです( ;∀;)
衝撃でした。
まんま、僕のことだと思ったんです。
気持ちを表現することの大切さ
東田さんは、自分の気持ちを文章で表現した、世界で初めての自閉症患者でした。
この本を英訳した、小説家デイヴィッド・ミッチェルはこう語っています。
「私たちには自閉症の息子がいますが、それまで英語で書かれた自閉症に関する本で役に立つものを読んだためしがありませんでした。
学術的にみて偏ったものだったり、特定のアプローチを宣伝したりするようなものばかりだったからです。
この本は私たちにとって、本当に役立つと感じられる初めての本でした。
自閉症の少年が、自閉症とはどういうものなのか、内側から書いているのです。
センチメンタルに聞こえるかもしれませんが、自分たちの息子が初めて自分が感じていることを語ってくれたと感じたほどでした。
(省略)
息子の先生や世話をしてくれる人たちに渡していました。
自閉症の子供の頭の中では、見かけとはちがって、問いかけをしたり、学習したり、分析をしたり、フラストレーションを抱えたりしていることを思い起こしてほしいと伝えたかったからです。」
出典:いま英国で話題になっている東田直樹の著作
シンプルではあります。
ただ単に、コミュニケーションをしているだけです。
でも、それ以上の可能性を感じ、僕は興奮していました。
自分が思っていることを、相手に伝えるだけのことなのに。
でもどうでしょう。
伝える口もあり、聞く耳もあるにも関わらず、コミュニケーションが取れず、悲惨な結果になることもあります。
なぜ、それができないのか?
思いやりというコミュニケーション
本書の中でこんなやり取りがあります。
「どうして質問された言葉を繰り返すのですか?」
「ずっと気になっていたのですが、ぼくらはよくオウム返しをします。
質問されたことに対して答えるのではなく、質問と同じ言葉を繰り返すのです。
以前は、その理由をどう答えたらいいのか分からないからと思っていましたが、それだけではないような気がします。
僕らは、質問を繰り返すことによって、相手の言っていることを場面として思い起こそうとするのです。
言われたことは意味としては理解しているのですが、場面として頭に浮かばないと答えられません。その作業はとても大変・・・(省略)」
出典:自閉症の僕が跳びはねる理由 会話のできない中学生がつづる内なる心 東田直樹
この一節から、東田さんの努力が伝わってきました。
僕はこう感じました。
この努力は、自分を相手に合わせようとす、思いやりの努力。
伝えることもコミュニケーションですが、聞くこともコミュニケーションです。
双方が、体勢を整えなければコミュニケーションは成立しません。
これは、「聞く」というコミュニケーションにおいて、重要な努力であり、思いやりです。
では、自分はどうか?
僕はその努力をしているだろうか?
もしかすると、自分のことばかり考えてたのかもしれない?
色んなことを考えさせられ、気づきをもらいました。
自分を客観的に見るきっかけになりました。
僕が抱えてたストレスの正体
この本は僕の背中を押してくれました。
勇気をもらいました。
東田さんは、自分の気持ちを素直に表現しています。
少なくとも僕より自分と向き合っています。
みんな同じ悩み抱えて生きてる
僕は、自分を表現することから逃げていたんです。
それは、日常のシーンで何度もやってきます。
どんな、言動、態度を取るのかは自由。
にも関わらず、自分でその自由を抑え込んでいました。
言いたいことが言えない。
表現したい態度、表情さえも抑え込んでいました。
原因はきっと、根深いものだと思います。
今、急にそうなったわけではなく時間をかけてこうなった。
だから、本来の自分に戻るにも時間がかかるのでしょう。
僕が中学生のとき、この本を書きました。
自閉症とは、どのような障害なのか、自分の言葉で説明することによって、僕は障害を受容したかったのです。
自閉症の僕が跳びはねる理由 会話のできない中学生がつづる内なる心 東田直樹
言葉を置き換えるとこうなります。
自分とは、どのような人間なのか、自分の言葉で説明することによって、僕は自分を受容したかったのです。
「自分の言葉」ここがすごく大事なんだと思います。
自分の気持ちを伝えることは、自分という存在を確かめる作業でもあります。
アウトプットの大切さ
自己表現をしている人たちは、エネルギーに満ちている気がします。
方法は様々。
何も、歌手や俳優、アーティストだけの専売特許ではありません。
言葉、表情、態度だけで自分を十分表現できます。
自分の本当の気持ちを押し殺し、言いたいことを我慢している人はたくさんいます。
僕は、話すことも、書くこともできるのに、それを避けていました。
自分の正直な気持ちさ、自分の気持ちも忘れてしまう。
自分に正直に生きてないから、自分が何者なのかも分からなくなってしまう。
結果、突然、不安に襲われたり、強迫観念から逃れられなくなったり。
この記事を書きながら、改めてそう思っています。
この記事をどんな人が読むのかわかりませんが、あのころの僕と同じような人に届くのを望みます。
ありのままの自分を。
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