お金とか人間関係とか、僕らが抱える悩みの原因って何なんでしょう?
僕は、全ての原因は自分を表現できないことではないか?
ブログを始めてから、そう思うようになりました。
今生きている世界(環境)でムリなら、違う場所でもいい。
とにかく自分の気持ちを正直に、どこかでアウトプットする。
怒り、喜び、憎しみ、悲しみ。
そうした気持ちを吐き出す場所って絶対必要だと思います。
自分を曝け出す場所
きっかけは高額塾
僕のブログはプロフィールを書くことから始めました。
時々更新しているので、いつか「自分史」として完成する日がくるかもしれません。
ブログでお金が稼げるということは知ったの10年以上前です。
当時の僕は、仕事とお金にと憑りつかれ中の真っただ中。
楽に生きたいと思い、アフィリエイトをやろうと本を買ったり、実際に記事を書いたりもしましたが三日坊主。
転職を繰り返しては、またアフィリエイトの本を買って三日坊主・・・
合計、十五夜坊主ぐらいまで行きました。
そんな僕が、本格的にブログに本腰入れ始めたのは、8ヶ月108万円のUSPの集客塾に参加したことです。
僕のメディア史で言うと、今使っているWordpressの前のアメブロとFacebookの時代です。
Facebookは「1日5投稿20コメント」をノルマとしてやっていた時期があります。
これは、当時、参加していた集客塾のノルマです。
8ヶ月108万円の塾でしたが、なんと1ヶ月ちょいでやめました。
当時の僕はと言うと、人間関係に嫌気がさし、10年勤めた会社を逃げるように脱サラ。
「オレは組織は向いてない!」と豪語し、借金してフランチャイズビジネスに手を出して失敗、集客の為にと借金して参加した集客塾。
集客塾やコンサルからすれば、見事にカモがネギをしょって歩いている状態(笑)
当時の僕にとって108万円は超大金でしたが、返金はない契約だったのでお金は返ってきません。
理由は色々あるんですが、とにかくやめました。
そんな、途中で辞めた塾でしたが、今に繋がる大きな「気づき」を得ました。
思えばこれが僕のブレイクスルーのきっかけだったのかもしれません。
それは、自分を曝け出すことの大事さです。
塾では、毎日、主宰者に日報を送らないといけません。
「今日やったこと」「気づいたこと」などです。
僕は、気づいたことを報告する際、何を書けばいいか悩んでいました。
いや、悩んでいたというか躊躇していました。
僕は天邪鬼なとこがあって、自分でやろうとしていたことでも、誰かに指示された途端、やりたくなくなります。
日々の気づきを、「今日は○○で○○ということに大きな気づきを得ました」なーんて報告するのは、上司の顔色を見ながら仕事をする優等生っぽくて、僕にとっては鳥肌モノで、奥歯が浮く作業です。
一番躊躇したのは、心の内側の気づき、仕事上での気づきのどちらを報告するか?
仕事上での気づきはまだ報告しやすいけど、心の内側の気づきって本当の自分を曝け出すようでなんか恥ずかしい。
「そんなレベルのことに今頃気づいたの?」とか「だから?」とか思われるんじゃないか(主宰者はそんな感じの人物)。
そんな思いがモヤ~っと出ては消え、日報を入力する手が止まります。
しかも、日報に対して主宰者からのフィードバックは全くなく、それでも、日報は毎日送らないといけません。
なんか、小馬鹿にされているようで、真面目に報告することに対しての不満もありました。
それでも、日報は書かないといけません。
僕がいくら天邪鬼と言っても、もういい大人ですから、ある程度は環境に順応しようとします。
とはいえ、「気づき」もそんなに頻繁に出てくるものでもありません。
そのうち、仕事上での気づきも無くなってきて内容がワンパターンになっていきます。
すると、仕舞っていた「心の奥の方の気づき」を出さないといけなくなります。
「心の奥の方の気づき」って具体的に何かと言うと、誰にも見られたくない日記みたいなイメージです。
普段、思ってはいても、口に出したり書き残すことはなく、心の中に仕舞っている想い。
本当に正直な気持ちと言いますか、素直な感情などを表現したモノです。
自分を曝け出すというか、裸を見られるようで最初は、躊躇しまくりました。
ただ、そもそも見てるかどうかもわかんないし、見てても返事も来ないだろうから、まぁいっか。
そんな、半分開き直ったというか諦めたような、観念した気持ちになりました。
僕って、抑え込まれるのがイヤなんですよね。自分を抑えていると、なんか負けた感じになるんです。
正直に言えない自分に負い目を感じるんです。
いつでも堂々としていたいという気持ちがあって、人の顔色見て判断基準を変えようとする自分がすごくカッコ悪く思えて居心地が悪く感じるんです。
なので、いっそ恥かいた方がいいわ!言いたい事あるなら言うてこいや!って開き直ったんです。
案の定、返事はありませんでした。
何度かやるうちに、曝け出すことに慣れてきます。
むしろ、思ったことを正直に言うという行為は、堂々としてて気持ちが良いモノでした。
1日5投稿20コメント
それから少しして、Facebookの「1日5投稿20コメント」のノルマが始まりました。
「大変そうだな~」「なんか意味あんのかな~」「もっとSEOとかそういうのがいんじゃない?」
言いたいことはたくさんありましたが、お金にも事業にも切羽詰まっていた僕は、天邪鬼な気持ちは捨てて、とにかくやってみようという気持ちで取り組みました。
ただ、「1日5投稿20コメント」を実践するのは本当大変です。
ほぼ、1日Facebookとにらめっこしないといけません。それが、毎日・・・日報より大変。
日報に加えてやらないといけないと考えると・・・
他の塾参加者や先輩たちは、自撮りして加工してキラキラしている自分をパシャパシャと投稿しています(とくに女性参加者)。
後から知ったんですが、こうしてキラキラしている自分を演じる女子たちのことを「キラキラ女子」と言うらしいです。
男がこれをやると、そうとう引きますよね?少なくとも僕は絶対やりたいくないです。
僕の安いプライドが許しません。
でも、当時は必死だったので、自分が「キラキラ男子」になろうとしていることには気づきませんでした。
結果、「1日5投稿20コメント」を頑張っていると、友達が1000人を超えました。
ただ、ひとつも仕事に繋がりませんでした(笑)
毎日のように、巨乳の外人さんから英語でメッセージが届くようになっただけでした(笑)
(その後、「なんか違う」と気づいて、そのアカウントは現在、利用を停止しています)
当然、「1日5投稿20コメント」も書くことが無くなってきます。
いくら切羽詰まっているとは言え、思ってもないことを書いたり、見る価値のないモノを投稿するのは、見せられる側もストレスです。
そう思うと、だんだんモチベーションも下がってきます。
結果も出ないと当然やる気は失われていきます。
僕は、途中から「1日5投稿20コメント」を諦めて、自分の素直な気持ちを投稿するようになりました。
自分のやり方でやってみようと思ったんです。
そのせいで、主宰者からは見放され、他の参加者とも距離ができ、ほぼ一人状態になりましたが、どうしても違和感を拭えず、自分の感覚を信じることにしたんです。
日報の件で、アウトプットすることに免疫ができていたつもりでしたが、Facebookは日報とは違い全世界に公開されます。
無名の僕がこんなこと書いたら、「何こいつ、有名人にでもなったつもり?恥ずかしい」とか思われるのでは?
そう考えると、投稿ボタンを押す瞬間は、動揺し脈が上がります。
内容を修正しようかと、編集が画面に切り替えもしますが、なんかビビっている自分もイヤでした。
「どうせ誰も見てないって!」と、自分に言い聞かせました。
少し話は戻りますが、日報の内容を変えてから数日後、主宰者と接見を行う機会がありました。
塾のプログラムでアメブロもやってたんですが、僕が先走ってやっていた為か、タイトルやTOP画像などを相当ダメ出しされました。
ちょっとイラっとした僕は、Facebookの「1日5投稿20コメント」のどこに意味があるのか?とか、他にも思うところを正直に言ってやりました(笑)
もちろん、激しい口論になりました(笑)
僕は、今でも正しいことを言ったと思っています。
この時も思ったんですが、正直に思ったことを言えるということは、逆に言うと自分の考えに自信を持っているということです。
声に出してちゃんと伝えることで、さらに自分の考えに対して自分の気持ちを確認できます。
そんな出来事の中で僕は、正直に言うことの大事さを実感していきました。
話しを戻します。
「こんなこと投稿して恥ずかしくない?」小心者の僕はそんな葛藤をしながらも、半分開き直りながら、その先に何かがあると信じて、勇気を出して投稿ボタンを押しました。
結果・・・特に誰からも反応はありません。
やっぱ、誰も見てないね、ひとりで勝手に気を揉んどっただけやん(笑)
そんなもんです。
ただ、言いたいことを言うと、やっぱ気持ちが良いものです。スッキリします。
これって、何だろう?
自分の中で、何か変化らしきものが起こっているけど、明確にはわかりません。
ただ、良い変化であることは間違いありませんでした。
さらに、それだけじゃなく、投稿に対してコメントが返ってくるようになりました。
それまで、キラキラ男子を投稿してもコメントのやり取りがつくづくことはなかったんですが、素直な気持ちで投稿した投稿へのコメントは、すこし内容が違う感じがしました。
社交辞令のような挨拶だけのやりとりではなく、人としてのコミュニケーションと言うか、そうしたやり取りが続くようになったんで。
自分が明確になっていく
自分の中で起こっている変化が何か?
何となくわかってきました。
自分の想いをアウトプットしていくと、
最初は、「どうでもいい」という開き直りだったものが、
「これでいい」に変わり、
最後は、「これがいい」となっていったんです。
Facebookのノルマあたりで、集客塾はやめました。
それから、アメブロもやめて、Wordpressを始めました。
WordPressの最初は、プロフィールから書き始めました。
自分がなぜ、ブログをやるようになったのか?きっかけは?それまで何を経験してきたか?
僕のブログは、全て僕の体験談や、体験から得たことや気づき。
素直な気持ちをベースに書いています。
Googleアナリティクスで分析すると僕の記事がどういったキーワードで検索され、どんな悩みの人が読んでいるかが見えてきます。
自分の想いや考えが、誰かの役に立っているという実感は、自信になり、文章も「ですます調」が増え、ページビューも増えるようになってきました。
誰とも会っていないのですが、もう一人の僕(ブログ)は、24時間365日、今日もどこかでずっと世界の誰かとやり取りを続けています。
僕の体験記が、誰か行動を後押ししていることを、ページビューや滞在時間が教えてくれます。
この循環が始まると、僕の中にあった「想い」が、少しづつ明確になっていっていきました。
何本も薄く細い線で、ぼんやりと描かれていた僕の輪郭。
そのぼやけた輪郭に、太くはっきりした線を入れていっている。
自分の存在が明確になっていく、そんな感覚です。
僕は、こうした経験から、ブロガーやアフィリエイター、ユーチューバーは、単にお金を稼ぐ手段だけでなく、人間としての表現方法のひとつではないか?
と思うようになったんです。
確かに収入の手段でもありますが、もし他の収入手段を手に入れても、彼らはブログを書き続け、動画を配信し続けるのではないかと思います。
なぜなら、人は、自分という存在を確かめる為に自己表現をするからです。
その表現手段を奪われることが人にとって最も辛いことなんじゃないか?
ん?
そうすると、自己表現することがイコール自己実現なんじゃないか?
なんかそう思うんですよね。
アウトプットの手段は、ブログじゃなくても良いと思います。
ただ、ブログの場合、実名じゃなくてもオリジナリティを出せますし、逆に現実とは全く違う自分を演じることも出来ます。
自分の好きなように表現できるブログはとてもおすすめです。
気持ちを表現(言う・伝える)すること。
人は自分を曝け出しながら、成長、変化していくんだと思います。
集客塾に払った108万円という現金は、手元からなくなりましたが、そのおかげで、身をもってこのことを体験しました。
僕は、この経験は108万円以上の価値があると思っています。
この経験が無かったらきっとこのブログは生まれてないと思うからです。
最後に
自己実現と聞くと「マズローの5段階欲求」が頭に浮かびます。
マズローは、「人の最上級の欲求は自己実現だ」と言っています。
自己実現。つまり夢や目標を叶えるのは、自己表現無くして不可能だと思っています。
そんなことを考えるうちに、自分を表現ができない人たちの気持ちを知りたくなりました。
そして、この本を読んで衝撃を受けました。
以下のページで本の内容を一部抜粋し、僕の感想を書いています。
この本は、自閉症の人たちが何を考えているかを、自閉症である作家の東田さんが自ら書いた本です。
自分を表現する手段がないことの辛さ、そしてその大事さを教えてくれます。
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